スポーツの根性論
マンガ「巨人の星」の主人公、星飛雄馬に代表されるスポーツ根性物語、いわるるスポ根マンガ。
その他に「アタックNo1」、「『あしたのジョー」などがありますが、現実のスポーツにおいては、これらの練習方法は過去の遺物となりつつあります。
当時の練習方法で、有名なのがウサギ跳び(腕を後ろで組み、膝を深く曲げた姿勢から跳躍を繰り返し前に進む動作)。
近年では関節や筋肉を傷めるスポーツ傷害を引き起こすとして医学的に有害性が指摘され、ウサギ跳びをおこなっている所はほとんど無いと言って良いでしょう。
また、昔は水を飲むとその分、汗がでるという理由で練習中に水を飲むことはを禁止していました。
現代では、喉が渇く前に水分を補充する事が常識となっている事を考えると、昔はやってはいけない事を多く行っていました。
スポーツ医学という面では、日本は諸外国に比べ、大きく遅れていたのです。
その原因のひとつに、日本人のスポーツに対する考え方が障害となっていたと言えます。
日本では道と名の付く競技、すなわち剣道、柔道などのように精神や根性を鍛えるのがスポーツだと考えていたからです。
また苦労や、苦痛が多いほど練習効果が高いという迷信があったのも原因の一つです。
スポーツを行うことは、一つの美徳であり、それはスポーツを通じて人格を高める事を意味し、その人格は一種の苦行によって洗練されると考えられていたからです。
競技における強さは、人格の高さと比例すると考えるのが日本の文化だったのです。
確かに昔は、一芸に秀でるには、師匠や親方のところで修行をし、師匠や親方は弟子に技術と同時に礼儀作法も教えていました。
ところが残念な事に、スポーツの世界、特にアマチュアのレベルでは技術よりも体格や、腕力、背の高さだけで勝負が決まってしまう事が多くあります。
ですから、このレベルでは競技における強さと人格は、まったく比例しません。逆に体格や腕力が強いので、弱いものいじめをする加害者である場合が多いです。
甲子園に出場する野球部の選手が、飲酒、喫煙、無免許運転をして出場停止になったという報道をよく耳にします。
「甲子園にまで行った選手が何故こんな事を・・・」となげく人もいるかと思いますが、私の弟に言わせれば、不良が多く入るのが野球部なのだから当然なんだそうです。弟の説が正しいかどうかは別として、確かに不良とよばれる人は卓球部より野球部の方が多いでしょう。
スポーツを学び、スポーツから学ぶことにより人格を高めることは大切なことでありますが、そのために苦痛が必要だと考える文化が日本にあったということです。
競技ではどちらかが勝って、どちらかが負けます。必然的にどちらが勝ったのかを明確にするために規則(ルール)を作り、採点や、得点によって勝負を決めなければなりません。
競技において、反則により減点される事はありますが、人格が高いからといって得点や採点が高くなることはありません。
最低限、反則を犯さない人格さえあればOKなのです。
逆にレベルが高くなればなる程、反則ギリギリのプレーを行います。審判が反則か否かの判断をどこで行うかを、選手が見極めるのも技術の1つなのです。
お祈りで勝てたのは、江戸時代までです。根性で勝てたのは戦前までです。スポーツ医学を考えないで勝てたのは1980年代までです。
気合で勝つ、根性で勝つなどと言うのは、病気を気合や根性で治そうとしているようなものです。
時代も21世紀になりました。そろそろ根性でなく、科学の差で勝負しませんか?